バナナの花ー(3)寡黙のガードナー
週休二日制は経済的に豊かな先進国のものかと思っていた。ところが、カナダで、英国風の雰囲気の濃い住宅街に住んでみて、どうやらそれは間違いらしいと考えるようになった。 五日間は生活収入の為に働く。七日目は神に祈りを捧げる神聖な日曜日。或いはリクリエーションの為である。六日目は休んだり遊んだりの余計な日なのではないのである。週に一度の、買物や家事雑用処理の大事な日なのだ。他所の専門家のサービスを高い賃金を払って、買い入れるよりも、自家労働力で賄った方がずっと廉くつく、勤労五日制というのは表面だけのことで、高賃金制は別な形で人間を縛っている。週休はあくまで一日だけ、勤労は実質六日に変わり無いのが実感だった。男の家事仕事の第一は、家周りの整備であった。春の芝生の苔掃除や施肥、秋の落葉掃除や枝木切り、冬には門前の雪かきがある。夏には三日も水撒きを怠ると、芝生は萎びて青白くなってしまう。週に一度芝生刈りをしないと不精髭を生やしてパーテイに出たみたいに、我が家だけが不様に目立ってしまう。仕事のスケジュールがきつかった週や、曇天雨天の週末にはとても億劫なことだった。これが日光と雨が豊かな熱帯だったら、草木の延びはもっと激しいだろう。 赤道の炎天下では庭仕事は身体にこたえるだろう。それとくらべれば、北樺太と同じ緯度のこの地での仕事は易しいものなのだと自らを励ましたものだった。
その以前、南フィリピンのダバオで、単身赴任の宿舎での暮らしをしたことがあった。事務所も宿舎も大きめの住宅建物で、隣り合っていた事務所建物には運転手やガードマン、それにメイドなど数人も二軒の用務員用の部屋々々に分かれて住み込んでいた。私たちの宿舎の方は、ベッドルームが四つあって、中二階のように床高になって居た。下は見た事がなかったが、半地下室になっていて、用務員の何人かはそこに寝泊まりしていた。私の部屋の下にも一区画あって、一人が住んでいるようであった。というのも、私が部屋に居るときは、下から物音が聞こえて来ることはなかったからであった。ただ、時々明け方、野鳥たちが庭の大木にやって来てやかましくさえずり出すのに気付くような時、床下で、コトリ、コトリとゆっくりしたテンポの足音を夢うつつに聞くことがあった。
用務員たち皆の顔の見分けがついてきた。朝食に来客や従業員が入って、出勤が遅れた時などに、庭にうずくまって、何やらやっているのが住み込みの庭男アルテミオだった。女中頭のウスラが、時々「アルテミヨン! 」と叫ぶ声が聞こえたが、返事が聞こえたり、物音が何処かから反応する気配はなかった。出入りを見たわけでもなかったのだが、明け方の足音の印象から、自分の床下の住人は、庭男だと想像した。彼は山岳少数民族などの出身ででもあろうか、或いは精神障害があるのだろうか、恥ずかしがり屋というよりは、対人恐怖症のようだった。
朝出勤の私のと、庭で、侯爵を落とし、背を丸めて手を動かしていた彼の視線が出会ったこともあった。けれども彼は挨拶するどころではない。蛇に出会った蛙が兎の話のように、ドギマギして恐怖に駆られた面持ちで、懸命に視線をそらしてしまう。彼は野良猫のように人目を避けて仕事をしていたようで、昼食時や夕方の事務所との出入りに見かけることはなかった。
クリスマスも近づいた或る夜、やかましい銃声で目を覚まさせられた。 近所に住む鉱山師が、仕事上のいざこざで、何度か、このように襲われることが合った。ところが、何時ものように、数発で止むかと思ったのだが、なかなか収まらない。何種類もの銃音で、ドンドン更に賑やかになって行くみたいである。これは、年末の押し込み強盗団の強襲かも知れない。当直ガードマンは三人居る筈だし、彼等はライフルや自動小銃も持っている。同宿三人の一人経理部長のアーニイも部屋に散弾銃を置いている。こちらの屋敷内はまだ静かだ。しかし身支度はして置いた方が良いかなと思う。外に私の常夜燈の灯かりで衣服の在り場所を見定めた。寝たまま右手をベッドの下に滑らせて、手斧の柄を確認する。ドア口に蓋を開けて立ててあるゴルフバッグは見えるが、2番アイアンのヘッドがどれかは見分けられない。いよいよベッドから降りようと決心した時、音がハタと止んだ。
二、三発の銃声と共に車が急発進で去る音がして、静かになったのだった。周囲の家々も辺りを覗っているのか、物音が出て来ない。息詰まる静寂が続く。 と、床下から土間をゆっくり歩く柔らかな足音が聞こえて来た。その音で私は我に返った。 全身がコチコチに堅くなって居る。深呼吸をする。ベッドの上に、手、足を柔らかくして長々と伸ばした。金目当ての賊には庭男に用は無いから足音に乱れはない。それに比べて私と出会った際の彼の気持ちの動揺振りは大きい。彼にとって、私は銃を持った賊よりも怖い存在なのか! 暗がりの中でクスリと笑ってしまった。
約一年間の任を解かれて、日本へ帰ることになった。 宿舎を発つ朝、用務員たち一人づつに心付けを渡して別れを惜しんだ。 普段は慣れ慣れしい態度を見せないアルテミオでも、今日ばかりは寂び師しそうな表情を見せてくれるかと期待した。が、彼は姿を見せもしなかった。懸命な働き振利を見せたわけでもないのだからと、心付けを誰かに言付けるでもなく、私はそのまま去ったのだった。
カナダ勤務を終えて、又、七年ぶりにバナナの仕事に戻り、ダバオ出張の機会が来た。同宿仲間だったアーニーに再会して、あの庭男の消息を尋ねてみた。事務所も引っ越しして、宿舎も閉めた後、二度ほど新事務所にアーニーに会いに来たとのことだった。インスタントコーヒーを準備させて出すと、美味しそうに啜り、尋ねられるままにボソリボソリと二言三言づつ近況を話す。郊外のどこかに、やはり住み込みで、前と同じような暮らしをしているのだと云う。
私はアーニーに紙幣を渡して言付けを頼んだ。「あの後、北国のカナダで、庭仕事を自分独りでやるようなことになった。そんな訳で、ダバオを離れる時、手渡しそこなった心付けが何時も気になっていた。」
数ヶ月後、再度出張の際、彼は良い報せをくれた。アルテミオが現れたと云う。私の言付け物を渡すと、彼は相好を崩し、ゆっくりとポケットにしまい込んだ。未だ世間話もしていなかったのに、出されたコーヒーに手を付けるか付けないかで、伝言を残すでもなく、立ち上がった。 事務所の大部屋から出るまでに、途中二回、ドアでもう一回振り返ってアーニーに笑顔を見せたと云う。
その晩ホテルのベッドに入ると、何時かの夜、銃声が去った後の時のように、身体をのび々々と長くした。当時の私は「どうでも良いような庭のために、人件費を掛けて、遊び半分のような仕事に、人一人雇うなんてー 。」と云った荒々しい反感を秘めていたことをアルテミオは敏感に感じ取っていたのだ。一年居て立ち去ると云っても、名残を惜しむ親しみのある雰囲気を私は持っては居なかったのだろう。何年か後、遠い国で私に浮んだ後悔の気持ちを彼は受け留めてくれただろうか。あの夜とは違った微笑みが浮んで来るのを感じた。間もなく私は寝入ったらしかった。
終り (1981、Tokyo)